現代文の授業って何をしていたのだろう???
こんなことを考えたことはありますか?
国語の授業では文章の解読をしています。
国語の授業のとき、まず文章を読みます。
みんなで順番に音読していますよね?
この文章には、どういったことが書かれているのか、文章を分解し、構成を考えて図式化して、読み解いています。
読解、つまり読み、解いています。
あなたの高校でも授業では、文章を理解する工程をしていましたよね?
同じですよね?
文章を理解していくことが授業なの?
文章を理解して読み解く。
言葉の意味を理解する。
そして、文章全体の伝えたいことを理解する。
文章の中身を完全に知っていれば、文章の内容を完璧に理解できて入試問題にも完璧に答えることができる。
これがいい流れです。
例えば、
あるアイドルグループがいる
とします。
そのグループが何人いて、それぞれのメンバーに個性やキャラがあり、そのメンバーのいろいろなブログや文章を読んだとします。
あなたは、メンバーの誰が何を好きで、何に夢中か、どんな性格なのかをホームページやブログから読みとっているはずです。
いわば、文章を理解しているはずです。
そう、まさに読解力を使って、理解しています。
文章 ⇒ 読解力 ⇒ 理解
これと同じです。
現代文も、作者の考えが書かれた文章を読み、その人の言いたいことを理解していく教科です。
授業では、それを分かりやすく分析しているのです。
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同じ授業を受けていて、なぜ成績の上下ができるのか?
しかし、みんなと同じ授業を受けているのに、偏差値が37になってしまう方が存在するのです。
なぜでしょうか?
最初に、現代文の試験は問題文がいつも違います。
専門家に言わせると構成は同じかもしれませんが、出題される文章は違います。
国語の授業で教えてくれた文章が、試験問題に出題されればいいのですが、そうはいきません。
でも、ほかの教科だって同じです。
英語も数学も、内容は同じでも、まったく同じものは出題されずに似たような少し違うものが出題されます。
現代文の授業というのは分かりにくいものです。
(私の勝手な言い訳かもしれませんが・・・)
先生がどんどん分解して読み解くものを理解していくのは簡単ですが、
いざ試験となるとなぜか解けない(私だけですか・・・)。
となります。
高校の授業も、もう少し分かりやすく入試を意識した授業をしてくれれば・・・
と思っていました。
ただ、現代文の偏差値がアップし、文章が理解できるようになると試験勉強にも直接リンクした授業の内容であったことに気付きます。
そんなことも気がつかずに授業を受けていた私は、偏差値37なのは当然ですね。
高校の先生は国語のプロなのか?
高校の先生も一応長い間、国語にたずさわっていますので国語のプロといえばプロでしょう。
しかし、私の現代文の勉強法は国語の先生に教えてもらった勉強法では一切ありません。
高校の先生に教えてもらった勉強法はやりましたが、効果がありませんでした。
後ほど書きますが、国語の得意な人が、国語をうまく教えることができるかといえば、難しいところでしょう。
プロ野球の世界でも、
有名な選手が、素晴らしい監督になるとは言えない
という言葉があるように、人に教えるということは難しいものなのです。
全く理解していない人の気持ちを理解して、教えることができる人、
理解できない人にびっくりするほど、噛み砕いて、
現代文はこういう教科なのですよ
と言ってくれる人はなかなか少ないのです。
まとめ
現代文の授業は、文章を読み、
文章 ⇒ 読解力 ⇒ 理解
筆者の考えを理解する方法を図で示しながら進んでいく。
ただ、試験になると、それができない・・・。
高校の国語の先生は、国語のプロですが、国語を教えるプロではないという可能性も大いにある。